話題になった新聞の投稿内容
「一生を終えてのちに残るのは」会社員 野崎 佳宏 (神奈川県 50)
20歳のころ、三浦綾子さんの小説を夢中で読みました。
「続氷点」に「一生を終えてのちに残るのは、我々が集めたものではなくて我々が与えたものである」という言葉が出てきます。
当時はよく理解していませんでした。お金が貯まれば車を買い、家を買い、果てしないコレクション魂が人間の悲しい性ではないかと。
20代後半で父が数年後に母が他界しました。苦労を重ねた両親の人生は何だったのか? かわいそうに思えてきました。いずれも身内や友人もこの世から消え、両親が人々の記憶からも消えていくことが。
30代後半になり、あの言葉を思い出しました。
手元に「集めた」ものは、自らの死とともに消えてなくなるでしょう。でも「与えた」ものはそうではないと考えるようになりました。
両親から受け取った有形無形の施しを、自らの肥やしにするだけでなく「たすきリレー」のように次の世代に伝えていく。これこそ自分が生を受けた意味なのかもしれない。
自分のしがない人生は、何百万年と続く人類の営みのほんの一瞬です。残したいものは何なのか?考えながら子供と接する日々です。

死ぬ間際で後悔しない生き方
・健康に気を付ける
失ってから気付く大切さ
・タバコやお酒を控える
病にかかってから後悔
・自分がやりたいことをする
やりたいことに踏み出さなかったことを後悔
・夢を追いかける
・感情に振り回されない生き方をする
いちいち怒ったり、泣いたりしたことへの後悔
・他人にやさしくする
なぜ、あんなに辛く当たったのかという後悔
・おいしいものを食べる
死ぬ間際は食を楽しめない
・仕事ばかりしない
仕事以外の生きがいを見つけたとき、なぜ仕事ばかりしてきたのかと後悔
・行きたいところにいく
病気になると旅行を満喫できない。
故郷にも元気なうちに帰る
・子供を育てなかったこと
子供を作れたのに自分を優先して作らなかったことを後悔
・会いたい人に会う
会いたい人には会えるうちに
・家族を大切にする
・大切な人に「ありがとう」と伝える
参考
